KEIKO MASUMOTO

KEIKO MASUMOTO

statement

English is below

「器であって器でないもの」

私の制作テーマは、「用途のない、飾られる為だけに作られた器」です。床の間や玄関に飾られた大きな皿や壷。食べ物を盛りつけられる事も、花を生ける事も無く鎮座する器たち。用途のある形であるはずの器型をしておきながら、 実際には使用されずに飾られるだけという存在が、一般の人々に自然に受け入れられています。装飾されるだけならばどんな形でも良いはずですが、あくまで器型をしているのはなぜか。フレームが絵画であるためのひとつの装置になり得るように、器形は工芸であるための装置といえるからではないでしょうか。

私の制作に一つのヒントをくれたのは、江戸初期の釜師、大西浄清の作った「鶴ノ釜」でした。大きな鶴が、釜に覆いかぶさるように造形されていて、翼の先はより立体的に釜からたちあがっています。この作品を見た時、もうこれはほとんど鶴だと思いました。装飾というのはあくまで主体である器の付属物ですが、この作品はその関係性を壊しているように見えました。ここで、装飾物の鶴は、過激な色遣いやリアリティで存在を主張するのではなく、鉄で作られたひとつの造形として自然に存在していました。自然に、激しく主張していました。
この作品の鶴を更に激しく主張させたらどうなるか、面白くなるに違いないと思ったのです。

そこから私は、器とも彫刻ともつかない 謎のものを仕立てあげ、「美術、工芸」「器、装飾」といった枠組みを壊すようなダイナミックな形をめざした作品作りを始めました。
モチーフと器とが、どちらが主とも従ともつかないようなサイズ感で融合した形から始まり、モチーフを器のラインでカットし、両者を危ういバランスで共存させたもの、最近では器の形や紋様の形にモチーフを押し込め、紋様の定義を探る「圧縮紋シリーズ」を制作しています。

美術や工芸の愛好家だけでなく、より多くの人々に親しみを持って見てもらえる陶磁器という素材で、ユーモアを大切にしながら新しいかたちを生み出していきたいと思っています。

Vessel and Anti-vessel

The vessel is,of course,a utilitarian form. But there are vessels that are simply decorative;they exist without flowers being arranged or food being served in them.These vessels are as a matter of course placed for appreciation in the entrance hall of a house or in its tokonoma alcove.Most such pieces are referred to as craft objects,but they transcend the crafts,which by nature are useful.If they are simply decorative pieces,in fact,there is no need for them to make the vessel form.
The categories “fine art” and”craft”have long been present in Japan but today,for most people,the boundaries between them are vague.Perhaps that is because people are more comfortably looking at craft pieces,which seem more approachable and familiar,than the unfamiliar,mysterious presence we call fine art.

The vessel form may thus be one type of device used in the studio crafts,like the painting and the frame in the fine arts.

Whether art or craft,I want to offer work that is intensely consciousness of that category,that framework,to explore what I myself felt.

What spurred me to create this series of works was the idea that they might generate some insight,if I featured,in an intriguing way,works that are situated on that ambiguous boundary.

 

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